高知地方裁判所 昭和37年(ワ)153号 判決 1966年5月13日
原告 全国電気通信労働組合 外一名
被告 日本電信電話公社
訴訟代理人 横山茂晴 外一一名
主文
原告全国電気通信労働組合の訴を却下する。
原告山本準一の請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの連帯負担とする。
事 実 <省略>
理由
第一、原告組合の訴について
原告山本が被告の職員として雇用されたものであること、原告組合が被告の職員をもつて組織する労働組合であることは、当事者間に争いがないところである。被告は、原告組合の確認を求める右法律関係につき管理処分権がないから、当事者適格がないと主張する。
元来、組合員の雇用契約上の権利は、個個の組合員に帰属するものであつて、組合は、当然にその管理処分権を有するものではない(最高昭和三五年一〇月二一日判決参照)。
ところで、原告組合は、公労法四条三項によれば、原告山本は昭和三六年三月二五日附で被告から解雇通告を受けたことにより原告組合の組合員としてとどまることができず、原告組合が原告山本を組合員として扱つてゆけば、公労法に適合しない法外組合とされて、同法に規定する手続に参加する資格を否認され、同法に規定する救済を拒否されるおそれがあるから、原告組合は原告山本とは別個に被告との間で原告山本と被告間の雇用関係の存否について確認を求める法律上の利益があると主張する。しかしながら、原告組合が解雇通告を受けた原告山本を組合員として取扱うことにより、公労法における手続に参加できず、その救済を受けられないおそれがあるとしても、それは、本来組合と組合員との間の問題であつて、被告に対する関係での原告組合の確定を求めるべき法律上の利益ということはできない。
被解雇者の雇用関係の存在確認の訴は、被解雇者個人からこれが訴を提起することがより直載、簡明であつて、原告組合について、その適格を認めるべき理由はないといわなければならない。結局原告組合が主張するようなおそれがあることをもつて、原告組合と被告間で確認訴訟で解決すべき利益があるものということはできない。
また、原告組合は、原告組合の犠牲者扶助規程により原告山本に対して重要な扶助金を支給するにつき、その前提として、原告組合と被告との間で、原告山本と被告間の雇用関係の存否を確認する必要があると主張する。しかしながら、右の扶助金の支給は原告組合と原告山本との間で解決さるべき問題であつて、原告組合と被告との間で右の法律関係につき別個に確定すべき利益があるものと認めることはできない。
そうだとすれば、原告組合の訴については、確認の利益を認めることができないから、これを不適法として却下することとする。
第二、原告山本(以下特記する場合を除き、単に原告という)と被告間の雇用関係存在確認の訴について
一、原告が公共企業体である被告に雇用されたものであること、昭和三六年三月二五日附で、被告より原告に対し、公労法一七条違反を理由として同法一八条により解雇する旨の意思表示がなされたことは、当事者間に争いがない。
二、原告は、公共企業体等の職員およびその組合に対し争議行為を全面的に禁止する公労法一七条の規定および同条に違反する行為をした職員は解雇されるものとする同法一八条の規定は、勤労者の団体行動権を保障した憲法二八条に違反し、さらに、公労法一八条の規定は、意に反する苦役を禁止した憲法一八条にも違反し、いずれも無効であると主張し、なお、かりに以上の主張が容れられないとしても、公労法一七条にいう争議行為および同法一八条で解雇の対象となる行為の範囲は、それぞれ限定的に解釈すべきであると主張する。
1 公労法一七条および一八条が勤労者の団体行動権を保障した憲法二八条に違反する旨の主張について。
憲法二八条は、勤労者の団結する権利および団体交渉をする権利とともに、団体行動をする権利は、これを保障すると規定している。これは、労働者をして、実質的に使用者と対等の立場において、団体交渉を通して自主的に労働条件を決定することを可能ならしめんとするものであり、団体行動をする権利とは、争議権に外ならない。そして、ここにいう勤労者とは、一定の対価をえて、他人に対し、その指揮のもとに労務を提供するものを指し、公労法の適用を受ける被告公社の職員が右にいう勤労者に該当することはもちろんである。
しかしながら、争議権も、他の基本的人権と同様に、全く無制約なものではなく、他の一般国民の生存の確保ないし国民全体の利益すなわち公共の福祉との関係から法律により必要な制約を受けることがあるものといわなければならない。
被告公社の営む公衆電気通信事業すなわち電信、電話事業は、国民の日常生活ないし社会一般の利益と密接な関係を有する。このように、その事業内容が国民の福祉に関係することが大であること、その事業がその性質上全国的規模のものであるため膨大な事業資金を必要とし私企業をもつてしては充分な役務の提供を期待しえない分野であることから、公衆電気通信事業は、国家的独占事業とされており、他に被告公社と同一の役務を提供する企業はなく、その事業の停廃は、直ちに国民の日常生活ないし社会生活に直接重大な支障を及ぼす。そして、右にみたような被告公社の事業の公共性および独占性(ないしは非代替性)が、一方では、被告公社に対して事業を停廃することのないよう事業の継続を義務づけるとともに、他面、その労働関係にも影響を及ぼし、被告公社職員の争議権に対する法律による制約を許容する根拠となる。しかし憲法二八条の保障する勤労者の団結権等はもとより立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とし、みだりに制限するを許さない基本的人権であるから、公共の福祉による制限を受けるとしても、その制限の程度は、団結権等を尊重すべき必要と公共の福祉を確保する必要を比較考量し、両者が適正な均衡を保つことを目的として制約の範囲を必要最少限度にとどむべきものであると解される。
しかして公労法は職員の団結権、団体交渉権についてはある程度の制約(同法四条、八条等)の下にこれを一般勤労者と同様に保障し、他面一七条は争議行為を全面的に禁止する。他方、公労法はその三三条ないし三五条において、公益委員で組織する仲裁委員会による強制仲裁の制度を設け、職員の労働条件および地位を確保する手段を講じている。これらの制約にはなお批判の余地があり、ことに右代償措置について、予算上または資金上不可能な資金の支出を内容とする仲裁委員会の裁定が政府を拘束しない(三五条但書)という点は、その当否について、疑問の余地がないとはいえない。しかし被告公社の事業の前述のような公共性、独占性にかんがみ、被告公社の職員および組合に対し上記のような代償措置を講じた上、争議行為を全面的に禁止することは、公共の福祉を確保するため必要の限度を超えて争議権を制約したものとは認められず、従つて公労法一七条および同条違反者は解雇されるもとする同法一八条の規定をもつて、憲法二八条に違反する無効の規定であるということはできない(最高昭和三〇年六月二二日判決、刑集九巻八号一、一八九頁、同昭和三八年三月一五日判決、刑集一七巻二号二三頁各参照)。
2 公労法一八条が憲法一八条に違反する旨の主張について。
憲法一八条によつて、労働者は、自己の欲しない労働につくこともしくはそれを継続することを国家からも私人からも強制されない権利、自己の欲しない労働を拒否し、もしくはそれを放棄する権利を保障される。ところで、原告は、解雇が労働者にとつて刑罰に優るとも劣らない苦痛であることを強調し、争議行為の禁止に違反して労務を提供しなかつた職員が解雇されるものとする公労法一八条は右憲法一八条に違反する旨主張する。しかしながら、労働者にとつて解雇がきわめて大きい苦痛であることは認められるけれども、右争議行為の禁止規定に違反する労働者に対し刑罰を課する如き場合は別として、使用者が労働者を解雇すること自体は、一般に労働契約の違反に対する解約が認められるのと同様なんら労働を強制するものでなく、強制労働の禁止にふれるものではないから、公労法一八条をもつて、憲法一八条に違反する旨の右主張は、理由がない。
3 なお、原告は、公労法一七条にいう争議行為および同法一八条で解雇の対象となる行為の範囲を限定して解釈すべきである旨主張するが、公労法一七条が被告公社職員に対し全面的に争議行為を禁止し、また同法一八条が右一七条に違反する行為をした職員は解雇されるものとしても、憲法二八条等に違反するものでないことは、如上のとおりであるから、右各規定を限定縮小して解釈すべき合理性はないといわなければならない。
三、拠点局選定に至るまでの経過概要等
1(一) 原告組合が、昭和三六年二月一四日から同月一七日までの間に開催された第二六回中央委員会で、春闘方針を討議、決定し、同月二〇日被告に対し、不当処分の徹回、賃金引き上げ、労働時間の短縮、要員協定の締結を中心とする一五項目に及ぶ要求書を提出したこと、これに対し、被告が、同月二八日、文書で回答したが、原告組合においては、これを不満とし、翌三月一日から、被告との間に中央交渉が行なわれたこと、しかし、まず、同月一三日、賃金引き上げに関する交渉が決裂したことは、いずれも当事者に争いがない。
(二) そして、<証拠省略>を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 前記のとおり、賃金引き上げに関する交渉が決裂した後、原告組合と被告との間に、他の要求項目について、中央交渉が続行されたが、三月一六日午前八時二八分、双方の意見が対立したまま、打ち切られるに至つたこと、
(2) その間、原告組合は、二月二一日(前記要求書提出の翌日)、指令第七号をもつて、同月二三日正午を期し、各級機関は闘争委員会に切り替えるよう指令し、さらに、同月二八日、指令第八号をもつて、三月二日から三日間、全国一斉時間外労働拒否闘争を行ない、同月四日正午、全国一斉時間外職場大会を開催する等の指令を発したこと、ついで、原告組合中央闘争委員会は、三月一〇日、指令第九号をもつて、各級機関に対し、別途指定する機関(拠点局)は同月一三日以降いかなる実力行使も実施できる態勢をすみやかに確立するよう指令し、同月一四日、指令第一〇号により、右指令第九号に基づく具体的行動として、別途指定する機関(拠点局)は三月一六日始業時から午前一〇時まで全組合員の参加する職場大会を開催するよう指令した(前同日、右内容の指令第九、第一〇号の発せられたことは当事者間に争いがない)こと、当初、右拠点局候補地として、原告組合各県支部ごとに原則として三局所が挙げられていたが、同月一五日午後五時ごろ、そのうちの一局所が拠点局として指定されたこと、
(3) 被告公社総裁大橋八郎は、三月一五日、原告組合中央執行委員長片平久雄に対し、右勤務時間内職場大会が被告公社の業務の正常な運営を阻害するものであり、公労法その他の法規に違反するから、これを差し控えるよう申し入れるとともに、もし右行為に出たときは、参加した者には戒告以上、これを指導した者には解雇を含む厳重な処分を行なう旨の警告書を手交したこと、また被告公社四国電気通信局長水谷七代は、同日午前一〇時ごろ、原告組合四国地方本部日野執行委員長に対し、同じく被告公社高知電気通信部長は、同日午後零時過ぎ、原告組合高知県支部執行委員長原告山本本人に対し、さらに須崎局長島田太郎は、同日午後二時ごろ、原告組合須崎局分会長川田穣一に対し、それぞれ右と同一内容の警告書を手交したこと、
(4) 原告組合中央闘争委員会は、右三月一五日午後五時ごろ、右指令第一〇号による拠点局所として、全国で五九局所、原告組合高知県支部内においては同局所を須崎局と指定、発表した。
以上のとおり認められ、この認定を左右する証拠はない。
2 ところで、右指令第一〇号による拠点職場の全組合員参加という勤務時間内職場大会は、いわゆる時限ストの性質をもつものと認めるのが相当であり、それが公労法一七条にいう業務の正常な運営を阻害する行為にあたることは、明らかである。
四、本件拠点闘争の状況と原告の行動等
<証拠省略>を総合すると、次の事実が認められる。
1(一)(1) 前記認定の指令第七号により、原告組合高知県支部執行委員会は、昭和三六年二月二三日正午を期し、高知県支部闘争委員会に切り替えられたこと、当時、県支部執行委員会は、執行委員長原告山本(原告山本が執行委員長であつたことは当事者間に争いがない)、副委員長川村健次郎、書記長林実、執行委員浜松英彦、林久治、武政加寿子の六名で構成されていたこと、前記認定のとおり、原告組合中央闘争委員会は、同年三月一〇日、指令第九号を発したが、同委員会は、同指令に基づく実力行使指導のため、同日、松山市の四国地方本部に対し、日置容正中央執行(闘争)委員を派遣したこと、さらに、四国地方本部から高知県下における実力行使指導のため、高知県支部に対し、近藤好文執行(闘争)委員が派遣され、同委員は、同月一四日朝、高知市に到着したこと、その間、県支部闘争委員会は、同月一〇日および一一日、闘争委員会を開催したうえ、同月一三日、支部闘争委員長原告山本名義をもつて、須崎局分会等に対し、いかなる実力行使をも実施できる態勢を確立すべき旨の闘争連絡を発出したこと、
(2) 同年三月一四日、近藤地本委員列席のうえ、支部闘争委員会が開催されたこと、その席上、実力行使の際の任務分担として、原告山本が総指揮者となり、川村副委員長は被告公社側との折衝等を担当し、林実書記長は副指揮兼職場大会運営を担当すること、ピケ要員として県支部内の分会から合計約六〇名を動員すること、市民対策として、ビラの配布や宣伝カー等による街頭宣伝をして市民の協力をえること、宿直者対策として、宿直勤務者に職場離脱を命じることもあることなどが取り決められたこと、さらに、同日、指令第一〇号および闘争連絡第七八号を受け、再度県支部闘争委員会が開催され、右闘争連絡によつて高知県下における拠点侯補局として指定された土佐中村、須崎、安芸の三局にいわゆるオルグを派遣して闘争態勢の確立をはかることを決め、土佐中村局に近藤地本委員が、須崎局に林書記長が、安芸局に川村副委員長が赴くことになつたこと、また、同日中に、支部闘争委員会は、各分会に対し、ピケ要員の動員(高知電話局二〇名、高知電報局一三名、高知通信部一〇名、高知無線二名、土佐、伊野、南国、佐川、窪川局三名)を指示したこと、そして近藤地本委員は、土佐中村局に向け出発したこと、
(3) 翌一五日朝、川村副委員長は、安芸局へ、林実書記長は須崎局へ赴き、闘争態勢の確立をはかつたこと、一方原告は、同日、電話をかけてピケ要員の動員態勢を確かめていたが、午後一時過ぎ、土佐中村局に赴いていた近藤地本委員から電話で、須崎局が最終的拠点局に決まるであろうという連絡を受け、さつそく、安芸局に赴いていた川村副委員長に高知へ帰るよう連絡し、かつ、各分会に対し、窪川局分会の三名を除くピケ要員は、同日午後八時、高知市役所前広場に集結するよう指示したうえ、高知市役所労働組合名義をもつて、拠点局に赴くバスを借り受ける旨手配したこと、また、近藤地本委員は、原告に右連絡をした後、土佐中村局から須崎局に向け引き返したこと、
(二) ところで、被告公社高知電気通信部は、三月一五日午後五時ごろ、指令第一〇号による拠点局が須崎局と発表されたので、その拠点闘争に備え、業務の遂行に当てるべく、直ちに近隣局等から応援管理者を動員したこと、右動員にかかる応援管理者約四〇名は、同日午後八時半ごろ、須崎局に到着し、島田同局長の指揮下に入つたこと、これら応援管理者および須崎局管理者らは、前記指令第一〇号にいう始業時とは、早くても翌日の午前七時と考え、島田同局局長を中心に翌日の任務分担を協議するなどして右指令による争議行為に備えたこと、そして電話交換の任務を分担することになつた応援管理者二四名は、同局二階の電話交換室であいている交換台により交換訓練を行ない、また、電信業務を分担することになつた応援管理者七名は、同局階下の電信室に詰めたこと、さらに、遠方の窪川局などからの応援管理者数名は、須崎市内の戸田旅館で待機したこと、当夜の同局の宿直勤務者は、電話交換手が四名、電報取扱者が一名であつたこと、
(三) 原告および川村副委員長は、須崎局における拠点闘争のため、前記ピケ要員約五〇名とともに、一五日午後八時すぎ、貸し切りバス一台で須崎局に向け高知市を出発したこと、原告は、同車中で、右組合員に対し、まず拠点局が須崎局と決定したことを報告したうえ、同局到着後とるべき行動として、同局の門がしまつていれば、局前で待機し、その後の闘争委員会の指示を待ち、自由に入局できる場合は、荷物を自転車置場に置き、同局の北と南の入口および階段付近にピケを張る旨指示したこと、
(四)(1) 原告ら右組合員は、午後九時三〇分ごろ、須崎局に到着したこと、当時、同局の門があいていたので、原告山本ら組合員は同局中庭に入り、組合員は、荷物を中庭の自転車置場に置いたうえ、中庭に集合していたこと、一方、原告ら支部役員ら(うち、林実書記長は、前記のとおり、同日午前中から同局に赴いていたものである。)は、土佐中村局から引き返してきていた近藤地本委員を混えて協議した末、管理者に対抗し、局舎内に入つて南北二つの階段に坐り込むことを決め、その旨組合員に指示したこと、そこで同局南側階段には、大平高知電話分会長を責任者として組合員約二五名、北側階段には、関崎高知電報分会長を責任者として組合員約一五名が階段一つに横に三人ずつ並んで腰をおろし、それが階段の途中の踊り場から上の部分の半分くらいのところまで及ぶという状態であつたこと、須崎局の局舎は二階建の建物で、二階には局長室、電話交換室、女子宿直室など、一階には、営業事務室、電信室、機械室、便所などがあり、右二階と一階との間の通路は、右南側および北側の階段各一か所のみであり、また、二階には便所の設備がなく、一階の右便所が設置されているに過ぎなかつたこと、右坐り込み後、午後一〇時過ぎごろから、右組合員は、原告らの指示に基づき、用便のため階下に降りた管理者が二階に上がることを、実力をもつて阻止するに至り、同日午後一〇時半ごろ、右二階への通行を阻止された管理者の数は一三名に上つたこと、そこで、二階にいた管理者は、やむをえず、二階の施設課事務室内に防火用バケツを備え、これによつて用便しなければならなくなつたこと、
(2) 右事態に対処するため、島田須崎局長は、午後一一時ごろ、原告らに対し、右坐り込みの問題について話し合いたい旨申し込んだこと、右申し込みにより、同局長および北村庶務課長と原告ら支部役員六名および近藤地本委員とは、一五日午後一一時半ごろから翌一六日午前二時一五分ごろまで三時間近く、階下営業事務室(窓口事務室)で、話し合つたこと、同席上、島田局長は、被告公社側が局舎内に入つた組合員に対して直ちに退去命令を出さなかつたのは、夜間の紛争を極力回避するためである。右階段の坐り込みは解いてもらいたい旨申し入れたこと、これに対し、組合側は、局側は組合員が局舎内に入ることを承認したものであるとして、島田局長の申し入れをきき入れようとしなかつたこと、右話し合いにおいては、はじめ、近藤地本委員は、自らは挨拶もしていないのに、島田局長が直ちに本題にふれようとしたのに対し、「挨拶もぬきに話し合うとは、けしからん」といつて大喝したこと、また、右組合側出席者は、島田局長の発言に対し、「こら」、「あほう」、「それで局長が勤まるか」などとばり雑言をあびせたこと、北村庶務課長が話し合いを打ち切るため立ちかけると、組合側出席者は、同庶務課長を押しとどめたこと、そうして、組合側は、島田局長に対し、局舎内に入つたことを承認する旨の記録書の作成を迫り、島田局長は、組合側の要求する記録書の作成に応じれば、組合側も階段をあけてくれるものと考え、記録書の作成を了承したこと、その結果、一六日午前二時一五分ごろ、被告公社側は組合側に対し、入局後直ちに退去を命じなかつたのは、外では寒いと思い、かつ、事を荒だてたくなかつたからである、右通路をあけてもらいたい旨申し入れ、組合側は、これに対し、申し入れの趣旨は判つた、あける用意はある旨答えた旨の「団体交渉等記録書」と題する書面(甲第五三号証)が作成され、局側では、島田局長、組合側では、近藤地本委員が全電通四国地方本部調交部長としてそれぞれそれに署名したこと、島田局長らは、右話し合いにより、組合側が直ちに階段の坐り込みをとくものと考え、引き上げたこと、
(3) ところが、右話し合いの後も坐り込みが解かれなかつたので、島田局長は、直ちに階下に降り、原告に対し、それでは話しが違うではないか、なぜ階段をあけないのかと難詰したこと、これに対し、原告は、階段をあける条件として、<1>電話交換室にいる管理者数を現在以上に増やさないこと、<2>高知電話局から応援にきていた同局運用課副課長岡崎花子を交換台につけないこと、の二つの条件を持ち出したこと、島田局長は、局舎内の通行の自由を確保するため、やむをえずこれらの条件をいれることにし、最寄りの電話で交換室の岩原須崎局電話運用課長を呼び出し、交換室にいる管理者の数をきいたところ一二名という返事であつたので、原告に対し、その旨答えたこと、すると原告は、管理者の人数を確認するといい、原告、近藤地本委員および川村副委員長が島田局長とともに二階に上がつて交換室にいる管理者の数を確かめたところ、一六名の管理者(内一二名は交換台につき、残余の四名は休憩中)がいたので、原告らは、四名を交換室から出すように同局長に要求し、島田局長は、その申し入れに応じたこと、そうして、一六日の午前二時五〇分ごろ坐り込みがとかれ、管理者の階段の通行が自由になつたこと、
(4) ところで、当夜の宿直勤務者は、電話交換手として、古川富美(仮眠時間は一五日午後一一時から一六日午前二時まで)、市川悦子(仮眠時間は一五日午後一一時半から一六日午前二時半まで)、谷本美智子(仮眠時間は一六日午前二時から午前五時まで)、笹岡澄子(仮眠時間は一六日午前二時半から午前五時半まで)の四名であり、電信係として、谷脇兼光であつたこと、そして、まず、電話交換手古谷富美および市川悦子両名は、一六日午前零時過ぎごろ、ともに階下の便所に行き、北側の階段を上がろうとしたところ、右組合員二、三名により、これを阻止されたうえ、局舎外に連れ出され、その後勤務しなかつたこと、原告は、同日午前一時ごろ、一階の電信室の入口にきて、同室で宿直勤務中の谷脇兼光に対し、「出てくれ」といつて、同人を右職場から連れ出したので、その後、右谷脇は勤務しなかつたこと、さらに、原告は、同日午前二時二〇分ごろ、二階の女子宿直室にいた谷本美智子を局舎外に連れ出したので、その後、同女は勤務しなかつこと、最後に、笹岡澄子は、同日午前二時三〇分ごろ支部役員三人ぐらいにより、二階宿直室前から連れ出されたので、その後、同女は勤務しなかつたこと、右午前二時三〇分以降、須崎局の業務は、管理者のみにより遂行されたこと、
(5) 次に一六日午前五時五五分ごろ、島田局長は、階下営業事務室で原告および近藤地本委員に対し、午前六時一〇分までに局外に退去するよう命令したこと、すると、原告らは、休憩中の組合員を呼び集めて、ふたたび南北両階段に坐り込ませたこと、被告公社側は、午前六時一〇分、南北両階段にそれぞれ退去命令文を掲示し、また同時に、マイク退去命令を放送したが、組合側がこれに応じなかつたので、実力により坐り込みを排除しようとしたが、高知通信部から、中央における団体交渉が再開されたから、実力による排除は見合わせるよう指示されたので、これを実行するに至らなかつたこと、
(6) 同日午前六時ごろ、局外で待機していた応援管理者の窪川局業務課副課長の大崎正美外五、六名が須崎局の表門から入局しようとしたところ、原告ら組合員数名は、これを阻止し、また、原告は、表門のかんぬきを針金で縛つたこと、そして、組合員は、午前七時二五分ごろ、階段の坐り込みを解き、ついで、表門に約三〇名、裏門に約一五名の組合員をもつて、それぞれピケを張つたこと、被告公社側は、前記認定のとおり、一六日午前二時三〇分以降、管理者のみによつて同局の業務を遂行してきたが、午前七時過ぎごろからしだいに通話の数が増し、不慣れな管理者のみでは処理できない状態になつたので島田局長は、重要通信の確保と機械の保安の目的から、公衆電気通信法第六条および電信電話営業規則に基づき、同日午前七時四〇分ごろ、約九六〇の加入回線のうち三一回線を残し、その余の回線については、絶縁物を試験弾器に挿入して通話を停止する通話規制措置をとつたこと、さらに、被告公社側は、管理者が徹夜で疲れていたので、須崎市内の戸田旅館に待機中の応援管理者を入局させて交換能力の増強をはるかるべく、右応援管理者に対する連絡のため、筒井高知電話局労務厚生主任、隅田高知電報局労務厚生主任、上田須崎局労務厚生主任を派遺したことこ、れら三名の者は、ピケ中の組合員に対し、再度局内に入らないといつて外に出て、伊野部窪川局長らに島田局長の意向を伝えたこと、伊野部窪川局長外九名は、右連絡に基づき、同日午前八時三〇分ごろ、島田須崎局長が同局二階の局長室から手で合図するやいなや、伊野部窪川局長の「かかれ」という号令のもとにいきなり表門ピケ隊に殺到し、入局しようとしたが、表門ピケ隊は、スクラムを組んでこれを阻止したこと、さらに伊野部窪川局長外九名の応援管理者は、ピケが張られている裏門から入局しようとしたが、ピケ隊により阻止され、結局、伊野部窪川局長らは、入局をあきらめ、右隅田ら三名とともに戸田旅館に引きあげたこと、
(五) ところで、指令第一〇号による須崎分会の勤務時間内職場大会は、一六日午前八時三〇分ごろから午前九時四〇分ごろまで須崎市内の教育会館において、同分会に所属する須崎局職員全員が参加して行なわれたこと、右職場大会に参加した須崎局職員中、一六日の午前七時から午前一〇時までの間に出勤すべき職員は、午前七時出が五名、七時半出が二名、八時出が四名、八時半出が三九名、九時出が三名(合計五三名)であつたこと、右職場大会については、県支部闘争委員会の川村副委員長、林記長が、午前八時ごろ、相前後して教育会館に赴き、会場の準備をし、また、原告も、大会開催の直前に会場に赴いたこと、そして、右職場大会においては、林書記長が右職場大会の還営責任者として同大会を司会し、須崎地区労所属の労働組合の役員の挨拶の後、林書記長が中央情勢の報告をし、また原告が経過報告を行つたこと、職場大会の終了後、参加者は同会館から須崎局前まで行進をし、そこで原告が挨拶をし、近藤地本委員の音頭で「団結頑張ろう」を唱えて解散したこと、
2 原告は、県支部闘争委員会の委員長として、須崎局における右拠点闘争について、終始現場に臨み、これを指導したこと、
3 右拠点闘争の結果、前記認定のとおり、三月一六日午前七時から午前一〇時までに出勤すべき合計五三名の須崎局職員全員が勤務しなかつた外、同日午前八時半まで勤務すべき一五日からの宿直勤務者の五名が職場離脱をしたため、一六日午前二時三〇分ごろから同日午前一〇時まで、すべて管理者のみによつて業務を執行しなければならなかつたこと、そのため、前記認定のとおり、同日午前七時四〇分ごろ、電話加入者約九六〇回線を三一回線に制限する通話規制措置を講じなければならず、結局右午前一〇時までの市内および市外通話の取扱い数は、いずれも通常の約一割に過ぎなかつたこと、また、電報の送、受信が相当遅滞したうえ、局外者に対する配達が全然できなかつたこと、その他の業務についても支障を来たしたこと、
以上のとおり認められ、(中略)その他右認定を覆えすに足りる証拠はない。
五1 そうしてみると、原告の前記四認定の各行為(ただし、(四)、(4) の宿直勤務者に対する職場離脱の慫慂および(五)の勤務時間内職場大会の指導を除く)は、公労法一七条により禁止される争議行為を共謀し、かつ、これを実行したものというべきであり、原告の前項(四)、(4) の宿直勤務者に対する職場離脱の慫慂および(五)の勤務時間内職場大会の指導行為は、同条の争議行為をそそのかし、あおつた行為に該当するというべきである。
2(一) 原告は、四国における実力行使の現地指導のため日置容正派遣中闘が選ばれ、本件須崎局における拠点闘争は、右日置派遣中闘の指導のもとに、同派遣中闘よりその権限と責任を委譲された近藤好文地本委員の判断と指示によつて遂行されたものであると主張し、<証拠省略>には、右主張に添う記載ないし供述部分がある。
(二) しかし、前記四に認定の事実に、<証拠省略>を総合すると、なるほど、本件須崎局の拠点闘争については、原告組合四国地方本部に派遣された日置容正中央闘争委員および原告組合高知県支部に派遣された近藤好文地本委員の各指示が行なわれたけれども、右拠点争は、原告組合の高知県下における組織上の執行機関たる県支部闘争委員会(その最高責任者が原告であることは、前記のとおりである)が指導、かつ、実行したものであることが認められる。右認定に反する右(一)掲記の記載ないし供述は、前記四冒頭掲記の各証拠に照らし、採用することができない。
その他原告の立証および本件全証拠を検討しても、右主張を認めるに足りる証拠はない。
六、そうだとすれば、原告に対する公労法一八条に基づく本件解雇は、理由がある。(なお、原告は、目的および手段がいずれも正当であつて、国民大衆の生存を著しく危くしない争議行為は、公労法一七条で禁止される争議行為に該当しない旨主張し、右主張に関連する事実を種々主張するけれども、前記のとおり、右見解は採用しないから、これらの事実については、判断をしない。)
七、不当労働行為の主張について
原告は、本件解雇の決定的原因は、優れた活動家である原告の正当な組合活動を原因とするものであり、また、活発な日常闘争を行なつてきた原告組合高知県支部の組織の弱体化をねらつてなされたものであると主張する。
そして、前掲証人日置容正、証人石井茂の各証言には、右の主張に添う供述がある。
しかし、右供述は、前記四認定の事実および<証拠省略>に照らし、採用することができない。又<証拠省略>を総合すると、原告は、昭和三一年九月一日から原告組合高知県支部の執行委員長として、組合活動をしていた(本件拠点闘争当時、執行委員長であつたことは、当事者間に争いがない)こと、原告は、組合員から深く信頼されていたことがいずれも認められ、この認定に反する証拠はない。
しかし、前記四認定の事実に照らし、右認定の事実のみをもつては、原告の主張を認めるに足りない。
その他原告の立証および本件全証拠を検討しても、原告の右主張を認めるに足りる証拠はない。
八、解雇権濫用の主張について
1 まず、原告は、本件解雇処分が、原告組合など公労協に参加する各組合が同月三一日に実施を予定していた実力行使を阻止することをねらつてなされたものであるから、解雇権の濫用であると主張するので、この点について判断する。
被告が、同月二五日、拠点闘争に対する第一次処分として原告外一五名を解雇し、その多数の者に停職、減給等の処分を行なつたこと、原告組合など公労協に参加する組合浄同月三一日に実力行使の実施を予定していたことは、当事者間に争いがなく、また、<証拠省略>を総合すれば、被告は、従前、停職等の重大な処分は、相当期間経過後なしていたことが認められ、この認定を左右するにたる証拠はない。
しかしながら、これらの事実をもつてしても、前記四認定の事実および<証拠省略>に照らし、右主張を認めるに足りない。
さらに<証拠省略>には、右主張に添う供述があるけれども、右供述は、右前段末尾掲記の証拠に対比し、採用することができない。
2 次に、原告は、原告が須崎局における実力行使に際して近藤地本委員の指示に従つて行動したにすぎず、前記日置容正派遣中闘および右近藤地本委員に対する停職処分と対比し、そのような軽微な違反行為に対して解雇をもつてのぞむことは、解雇権の濫用である旨主張する。
しかし、すでに認定したとおり、原告は、単に近藤地本委員の指示の伝達係ないしは指示のままに行動したにすぎなかつたものではなく、須崎局における争議行為を指導し、率先して実行したものであるから、右主張は理由がない。
3 さらに、原告山本は、被告は、従前のいわゆる勤務時間内職場大会に対する処分において解雇した事例がないのに、本件につき解雇処分をしたことは、苛酷であり、解雇権の濫用であると主張する。
従前のいわゆる勤務時間内職場大会に対し、被告が解雇処分を行なつた事例のないことは、当事者間に争いがない。
しかし、前掲乙第六二号証の一、二および前掲証人大塚裕司の証言によれば、前記四認定の本件須崎局における拠点闘争は、その実態において、従前のいわゆる勤務時間内職場大会と著るしく相違し、したがつてまた、前記三認定のとおり、異例の内容を有する警告文を事前に発したものであることが認められる。
したがつて、原告の右主張も理由がない。
4 その他原告の立証および本件全証拠を検討しても、原告主張の解雇権濫用の主張を認めるに足りる証拠はない。
第三、結論
以上の次第であるから、原告組合の訴は、これを不適法として却下し、原告山本の請求は、これを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九三条一項但書を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 合田得太郎 小湊亥之助 渡辺貢)